いい加減だから、甘えているから、ひきこもりになるんじゃないよね。
ひきこもりになる人はストイックな完璧主義者が多いんです。孤高の勇者。
私も多分に漏れずその傾向があります。でも「こだわりが強い」だけで本物の「完璧主義者」じゃないような気もするなあ……。昔の知り合いが絵に描いたような完璧主義だったせいかもしれませんが。
十数年前、私にもファッションや音楽の趣味で繋がっている仲間がいました。そこに超完璧主義の女の子がいたんですね。
彼女は綺麗なロングヘアでしたが、髪の長さが10センチ足りないからといって、自分と同じ髪型のウィッグを被っていました。「この服にはこの長さでなくてはダメ!」という確固たる信念を持って。
正直、傍から見たら誤差の範囲。でも彼女にとっては大違い。
手先が器用で何でも自分で作っちゃうし、量産女子にはないカッコ良さがありました。クオリティーも群を抜いていたと思います。
ただ、テストの点数からグループ内での立ち位置、スナップ写真の出来まで一切妥協しないから傍にいると疲れるんですよ。つねに自分がナンバーワンでなければ気がすまなかった。
すごいとは思いますが、他人にも完璧を求める厳しい性格。美人なのにピリピリしていて可愛げがないんです。人気はありましたがアンチも多かったようです。
私はそこまで徹底してない。
どうでもいいことは本当にどうでもいい。
融通の利く部分のほうが多いですが、ある特定の分野に対してだけ完璧主義になるんです。それが「こだわりが強い」と感じる部分。
こだわりとは美学、自分を動かす原動力です。
こだわりを主張することは我がままは違います。
私の場合、こだわりのある部分が刺激されると動き出しますが、それ以外は死んでるようなもの。
「モテるためのテクニック」なんて紹介されても屍のまま。でも、大分むぎ焼酎二階堂のCMが流れたらゾンビのようにむっくりと起き出します(お酒は飲まないから見るだけ)。
食べ物にもさして興味はないんです、昔から。生きていくためだけに食べる物なら、なんでもいい。
でも内装、盛り付け、器、料理にこだわりを感じたら、舐め回すように見ますね。
すべてを引っくるめて「味」だと思うからです。
たとえば、こんなデザートの楽しみ方。
戦前は、アイスクリームを食べる時、わざわざ美しい切子のグラスに盛って、目と舌で味わいながらいたたいたものです。今は当時よりもずっと豊かな時代のはずなのに、使うのはせいぜい紙コップ。アイスクリームそれ自体の味はおいしくなっているのかもしれませんが、味わいという点では戦前のほうがずうっと上。雲泥の差といえましょう。
『おしゃれ大図鑑』美輪明宏
いまでこそ高級品ですが、もともと江戸切子は庶民の実用品です。使ってこそ生きる器。利便性や経済効率ばっかり気にしている現代人は、この美的感覚を見習ってほしいです。これが、まさしくこだわりですよ。
私が天然だと言われる反面、
「怒るポイントがわからない」
と相手を混乱させてしまうことがあるのは、特定の部分にこだわりが集中しているからじゃないかなあ。これだけは譲れないという部分は妥協しないから。何にでもこだわる完璧主義より分かりにくいんですね。
こだわりの強いひきこもりちゃんは、「みんなと違う自分はおかしい」と思っているかもしれない。「そんなの日本では通用しないよ」と大人に言われて傷つくかもしれない。
でも、「全員横並び」なんて小粒な現代人の発想だよ。
歴史を遡ってみてください。
日本にも自分の〈こだわり〉を貫いた人はいましたよ。
『へうげもの』で知られる
趣味でブレイクして、無名な武士から天下一の茶人・芸術家になった人物です。
作風はアバンギャルド。従来の型にはまらない自由な表現が織部の特徴です。ぐにゃっと歪んだような形や幾何学的な柄は、いま見ればモダンですが、当時の人は目を丸くしたでしょう。
変人というより「美」の多様性を証明した人だと思います。あの気難しい千利休をも唸らせたセンスの持ち主ですからね。
いわば、茶の湯の原宿Cawaiiカルチャーです。
一般人が見たらヘンテコリンな織部のセンスは、利休にとっての「カワイイ」だったに違いありません。織部テイストの奇抜な茶碗は「織部好み」と言われ、いまでは一つのジャンルとして確立しています。
利休という理解者の存在により、織部のこだわりは市民権を得ました。今でも有名人の口コミは絶大な宣伝効果がありますが、昔はネットがないので、その影響力は計り知れません。織部グッジョブ!
芸術なんて興味なし、こだわりもないという無難な生き方をしている人達だって、織部の恩恵を受けているんですよ。陶器の食器を普及させたのは織部なんだから。
こだわりの強い人にしか成し遂げられないこともあるんです。
はみ出し者だと思うと悲しいけど「織部好み」だと思えば、あなたも世界に一つしかない芸術品です。